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プラネタリーヘルスの各トピックに関する知見を紹介します

ソラスタルジアとは何か: 環境変化とメンタルヘルスとの結びつきを考え直す視点

2024.09.15

プラネタリーヘルスにおいて、メンタルヘルスに関する様々な研究結果が発表されていますが、この記事では、その中でも比較的新しい概念である「ソラスタルジア(Solastalgia)」について解説します。

ソラスタルジアとは、端的に言えば、慣れ親しんできた風景が変化することによる精神的な苦痛を指しますが、国土が狭く、幼少期に慣れ親しんだ風景が大きく変わる可能性が高い日本人にとって、重要な概念になるのではないかと思われます。

ソラスタルジアとは何か?

ソラスタルジアは、環境哲学者のグレン・アルブレヒトが2005年に提唱した概念で、”solace”(慰め)、”nostalgia”(ホームシック)、”algia”(痛み)を組み合わせた造語です。ソラスタルジアとは、環境の変化、特に家庭環境の変化によって引き起こされる感情的あるいは実存的な苦痛を表す言葉であり、安らぎの場所が攻撃されたり、深く心を揺さぶるような変化を遂げたりしたときに感じる苦痛を指します。

ソラスタルジアの原因となり得る事情は、慣れ親しんだ環境の変化です。具体的には、気候変動、自然災害、あるいは鉱業、森林伐採、都市化などによる人為的・非人為的な環境の変化を指します(もっとも、自然災害のような非人為的な事情も、人間活動による気候変動と結びつけて議論される要が多いように見受けられます。)。重要なのは、これらの変化が否定的なものであり、自分ではコントロールできないものであると認識されていることです。ソラスタルジアを経験する人は、こうした変化に直面して無力感を感じることが多いとされています。環境の悪化を食い止めたい、元に戻したいと思っても、それができない無力感をおぼえ、苛立ちや苦悩につながります。

ソラスタルジアによる具体的な健康上のアウトカムとしては、不安や抑うつ、あるいは一般的な喪失感が挙げられます。

ソラスタルジアの実例

ソラスタルジアに関し、以下のような実例が報告されています。

オーストラリアの山火事と地域住民への心理的影響

ある研究は、オーストラリアの山火事によって、地域住民に感情的な影響、大切な場所を失った悲しみ、裏切られた無力感といったソラスタルジアの中核的な特徴が見られたことを報告しています。また、ソラスタルジアをおぼえる人々が、必ずしも山火事の影響を最も受けた人々ではなく、固有の哺乳類や鳥類など、この自然の場所を特別なものにしていた側面により大きな喪失を感じている人々が含まれ得ることも示しています。

北極圏の気候パターンの変化によるイヌイットへの心理的影響

別の記事では、カナダの北極圏に住むイヌイットにおけるソラスタルジアの問題に焦点を当てています。彼らの伝統的な生活様式は、ますます予測不可能になる気候パターンによって崩壊しつつあり、季節の予測が難しくなるにつれ、狩猟や旅行、文化的知識の継承に影響を及ぼし、イヌイットの間に喪失感と悲嘆をもたらすことが指摘されています。また、この心理的影響は、食糧不安や過密住宅といった既存の社会問題によってさらに悪化するとされています。

アスベスト汚染による地域住民への心理的影響

別の研究は、イタリアのある地方でアスベスト汚染を受けた人々の心理的影響を調査しました。アスベスト汚染は、その汚染が潜在的に進行すると特徴を有することから、コミュニティの危機対処能力を徐々に解体されてしまったとされています。その結果、地域住民が汚染に気付いた時にはコミュニティが回復不可能となっており、地域への愛着が傷つき裏切られ、最終的に諦めの感情を抱く結果となったと報告されています。

海岸浸食と地域住民への心理的影響

浸食に直面している沿岸地域社会とソラスタルジアの関連性について調査した論文もあります。この論文は、アイルランド南東部の海岸侵食により、ソラスタルジーを住民のほぼ半数、特にその地域に20年以上住んでいる人々が経験していることを示しています。また、ソラスタルジアの発現には季節性がある(夏に発現が強い)ことや、場所の愛着と正の相関があることも報告されています。

ソラスタルジアの意義

ソラスタルジアは、環境活動や自然災害によるメンタルヘルスへの影響を検討するにあたって、様々な示唆を与えてくれる概念です。環境活動においてその土地の風景や街並みを大きく変化させる開発が、住民のメンタルヘルスに悪影響を与えるという視点は、今後の開発や街づくり等において重要な意味を持ちます。特に、近年は不動産開発において、「住むだけで健康になる街」など、健康やウェルビーイングをコンセプトにしたプロジェクトが目立つようになってきました。このような開発が主流になっていく社会において、ソラスタルジアは不動産会社・建設会社や開発地の住民においてより建設的な対話を促進するための概念になる可能性があります。

また、気候変動の影響によって災害が激甚化する中で、被災者の一次的・二次的なケアを考えるにあたってもソラスタルジアは重要です。例えば、豪雨によって土石流が発生し、慣れ親しんだ土地・家屋・コミュニティの風景が根本的に変わってしまった場合、被災者のメンタルヘルスのケアを考えるためにソラスタルジアの概念は重要になります。また、中長期的な避難を余儀なくされた場合に、全く異なる風景・文化のコミュニティの中で暮らすことになる被災者のメンタルヘルスのケアをどのように考えるのかを検討する視座を与えてくれる概念となるでしょう。

特に日本では、国土が狭く、開発や自然災害によって、慣れ親しんだ風景が変わってしまう経験を多くの国民が経験し、これからも経験する可能性があるといえます。このような経験が実はメンタルヘルスの悪化と関連する可能性があるのではないか、という視点を提供するソラスタルジアの概念は、今後もますます重要なものになっていくと思われます。