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プラネタリーヘルスの各トピックに関する知見を紹介します

自然災害がメンタルヘルスに与える影響

2025.05.17
UnsplashのMarc Szeglatが撮影した写真

はじめに

自然災害は、私たちの暮らしに甚大な影響を及ぼします。その影響は、倒壊や浸水といった目に見える物理的被害にとどまらず、被災者の心理面にも影響を与える可能性があります。地震、津波、台風、洪水といった災害に直面した人々は、被災直後の急性ストレス反応に加え、長期的なメンタルヘルスへの悪影響とそれによる精神疾患に直面する可能性があります。こうした課題は、自然災害の頻発する日本において、特に看過できない重要な問題です。

本稿では、自然災害が人々のメンタルヘルスに及ぼす影響について、関連する研究にも触れながら概説し、災害対応においてもプラネタリーヘルスの視点が不可欠であることを説明します。

自然災害がもたらすメンタルヘルスへの影響

被災直後のメンタルヘルスへの影響

自然災害直後には、多くの被災者に急性ストレス反応が現れることが報告されています。具体的な症状として、不安感の高まりや落ち着かなさ、怒りや罪悪感といった情緒面の揺さぶりが報告されており、動機・発汗・頭痛・胸痛のような身体的反応を引き起こすこともあるほか、睡眠・食事パターンが乱れる可能性もあります。また、サイレンや大きな音など、災害の記憶を刺激するような環境要因へ過剰に反応する可能性もあります。

症状の現れ方は個人によって異なりますが、いくつもの症状が重なる重度の反応を示す可能性もあります。こうした反応は、災害後一定期間継続しますが、多くの場合時間の経過とともに軽減するとされています。

長期的なメンタルヘルスへの影響

上述のように、多くの人は短期間でストレス反応からの回復が見られますが、長期的にメンタルヘルスに悪影響を与える可能性もあります。

代表的な精神疾患としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病が挙げられます。2004年のインド洋津波の被災者に対する研究では、被災者の成人の約23%がPTSDを発症したことが報告されています。また、自然災害後はPTSDだけでなくうつ病の有病率も有意に上昇するとしたシステマティックレビューの報告があります。トルコ地震において、発災から約3年後の時点で、震源地の被災者のPTSDの有病率が40.1%、うつ症の有病率が27.3%に上ったとの調査結果もあります。

災害の規模や被害の程度によってPTSDやうつ病の有病率は大きく異なるとされています。例えば、近年実施された大規模なメタアナリシス研究(様々な研究成果の傾向を統合・分析する研究手法)では、災害後のPTSDの有病率は2%~52%、うつ病の有病率は3%~52%と、研究間で大きなばらつきが見られたことが報告されています。

また、災害後の生活環境の変化もメンタルヘルスに影響を与えるとされています。その要因としては、災害による転居や人間関係の変化、所得の低下、仕事・財産・家族の喪失などの日常生活に関連する要因などが指摘されています。

特定の集団への影響

災害によるメンタルヘルスへの影響は、全員に対して一律に及ぶわけではなく、特に影響を受けやすい層が存在するといわれています。災害後の被災者支援においては、こうした影響の不均衡を認識した上で、適切な心理社会的支援に繋げることが重要といえます。

こども

子どもは、発達段階上災害の心理的衝撃に対して特に敏感であることから、災害による心理的影響を特に受けやすい立場にあるとされています。例えば、6万人以上の被災者を対象人したアメリカの研究では、災害後に重度の精神疾患を経験する可能性は、成人よりも子どもの方が高かったことが報告されています。

高齢者

高齢者も災害によるメンタルヘルスの悪化が起きやすい層とされています。例えば、オーストラリアでのメタアナリシス研究によれば、高齢者は若い成人と比べてPTSDを経験する確率がおよそ2.11倍にもなり、適応障害を発症するリスクも1.73倍高いことが報告されています。
その要因として、高齢者が災害前に健康状態が悪く、自然災害後に支援を求める能力が低下するためとも言われており、その結果として罹患率と死亡率が上昇する可能性が示唆されています。

女性

多くの研究で、自然災害が女性の心身の健康に影響を与えることが報告されています。例えば、日本で実施された研究では、東日本震災の被災者約1万人を対象にした健康診断結果を分析し、女性であることとメンタルヘルスの不調との間に関連性があることを報告しています。なお、この研究では、その他にもメンタルヘルス不良の要因として経済状況や転居、社会的ネットワークの欠如などを挙げており、上述したように被災後の環境の変化とメンタルヘルスの不調とが関連していることを示唆しているといえます。

なお、本稿で取り上げた、こども、高齢者、女性はあくまでいくつかの例であり、その他にも影響を受けやすい層(脆弱層)が存在するとされています。例えば、アフリカ南部での累積的な災害への曝露とうつ病の発症との関連性を調査した研究では、女性以外にも、人種(黒人アフリカ人)、低所得者といった特性が、累積的な地域災害への曝露によるうつ病の発症と有意に関連していることが報告されています。この研究成果が日本にも同様に当てはまるかは慎重な検討が必要ですが、被災に伴う健康への影響が特定の層・コミュニティなどに不公平に影響する可能性があることを念頭に置く必要があります。

プラネタリーヘルスの文脈で考えることの重要性

プラネタリーヘルスは、環境問題と人の健康が密接に関連していることを示す包括的な概念です。近年の気候変動の激化に伴い、山火事、豪雨、台風といった自然災害の発生頻度と強度が顕著に高まっています。このような状況下では、環境問題、自然災害の発生、そしてメンタルヘルスの問題は別個の事象ではなく、連続した一連のプロセスとして捉える必要があります。自然災害がもたらすメンタルヘルスへの影響は、気候変動と健康問題の関連性を示す明確な事例といえます。

国内外で様々な災害対策が実施されていますが、今後は環境変動がもたらす新たな公衆衛生上の課題としてメンタルヘルス問題を明確に位置づけ、長期的視点に立った対策の構築が急務となっています。世界保健機関(WHO)や国際的な研究機関は、気候変動・環境危機とメンタルヘルスの連続性に注目し、環境科学へのメンタルヘルス視点の統合や、被災地域における心理社会的支援の強化を強く推奨しています。

プラネタリーヘルスの概念と最新の研究成果は、この連続性をより科学的に解明し、効果的な対策を講じるための重要な基盤となります。WHOが気候変動を「人類が直面する最大の健康への脅威」と位置づけているとおり、その脅威が自然災害という形で顕在化する以上、災害対応に携わる専門家がプラネタリーヘルスの知見を深めることは、災害に対し強靭な社会の構築に向けた不可欠な要素といえます。

おわりに

自然災害がメンタルヘルスに与える影響は、短期的なストレス反応のみならず、長期にわたるもの(PTSDやうつ病など)があり、長期的な症状が現れる要因として、被災後の環境・社会経済的ステータスの変化も大きく影響していることが指摘されています。そのため、被災者支援としては、被災者個人に対する治療だけではなく、コミュニティ再建や環境の整備も含めた長期的・包括的なアプローチが必要になるといえます。また、上述したような特定層に不均衡に影響が出る可能性も踏まえて、公平性を意識した支援を行うことも重要といえるでしょう。

プラネタリーヘルスは、このような自然災害とメンタルヘルスへの影響を分析・検討する上で非常に重要な概念といえます。プラネタリーヘルスについて知ることは、自然災害を引き起こす気候変動をはじめとする環境問題と、自然災害によって引き起こされるメンタルヘルスとを連続的に捉えることにつながり、より包括的・分野横断的な予防や支援を可能にするのではないかと思われます。