気候難民とは何か
はじめに
自然災害の数は増加傾向にあり、世界気象機関(WMO : World Meteorological Organization)によれば、自然災害の発生件数は50年で5倍に増加しています。また、気候変動によってその深刻さも増しているといわれています。
こうした自然災害の増加・深刻化によって、世界各地で生活環境を奪われ、移動を余儀なくされる人々が生まれており、気候難民(climate refugee)と呼ばれています。この記事では、気候難民とはどのようなものか、直面している現実とその影響にも触れながら解説します。
気候難民とその類型
気候難民については、国際的に明確な定義はないとされていますが、洪水、干ばつ、海面上昇、異常気象などの影響で生活が困難となり、居住地を離れることを余儀なくされた人々を指して用いられることが多く、日本の主要メディアも気候難民という単語を用いています。
スイスにある国内避難監視センター(IDMC)によれば、2023年の気候変動に関係する自然災害による国内避難民は2640万人に上り、武力紛争による国内避難民が2050万人を上回っています。また、世界銀行も、気候難民の増加に警鐘を鳴らしており、2050年までにその数は2億人を超えると指摘しています。そのため、環境問題だけではなく、人権・国際政治の観点からも気候難民の問題は重要性を益々増していくと思われます。
気候難民は、移動のパターンから主に以下の二つに分けることができます。
国内移動型
国内移動型の気候難民は、災害や環境の悪化により、国内の他の地域へ避難します。上述したIDMCが計測・予測している国内避難民は、国内移動型の気候難民であるといえます。例えば、国民難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、パキスタンやコンゴ民主共和国、アフガニスタン、マダガスカルなどでは、洪水や干ばつの影響により、2022年だけで何百万人もの強制移動が発生していると指摘しています。
国内での移動であるため、難民に適用される法令や医療保険が変わるわけではありませんが、移動した難民にどの程度の生活支援が出るかは、その国の政治的・財政的余力等によって大きく左右されると思われます。そのため、政府からの政策的な手当てや支援がなされないまま、劣悪な環境下での生活を強いられる可能性があります。
越境移動型
越境移動型の気候難民は、気候変動によって国内の大部分、あるいは移動可能な国内の移住先が見当たらない場合に、他国への避難を余儀なくされる類型です。例えば、太平洋の小島嶼国では、海面上昇により住む土地が徐々に失われ、住民たちは近隣の国々に避難する事態に追い込まれる可能性が高まっていま。例えば、キリバスやツバルといった太平洋地域の島しょ国では、土地の浸食や飲料水の塩水化が進んでおり、国内での居住が難しいことから、ニュージーランドやオーストラリアなどの他国へ移住する可能性が浮上しています。
こうした移住は、国内移動型とは異なり、国際法・国際政治上の問題を引き起こす可能性があります。移住先の候補国が受け入れを表明している場合もあります。例えば、オーストラリアは、太平洋島しょ国からの移住者を対象としたビザ(Pacific Engagement Visa)を発給し、移住者への定住サポートも実施しています。これに対し、二国間・多国間での移住に関する合意がなく、不法な移住が進むことも考えらえれます。その場合、医療保険を含めた移住先のサービスが利用できず、劣悪な環境下での生活を強いられるなど、非常に脆弱な立場に置かれてしまう可能性があります。
気候難民が直面する健康と人権の問題
気候難民は、移動に伴うさまざまな問題に直面します。
難民キャンプでの健康リスク
難民キャンプは、多くの気候難民がたどり着く場所の1つとされています。例えば、アフリカの角とも呼ばれるアフリカ大陸東端地域では、深刻な干ばつを背景に移住してきた人々が集まるキャンプが存在します。難民キャンプの多くは過密状態で、基礎的なインフラが不足しているとされています。
具体的な健康リスクとしては、過密や清潔ではない水へのアクセスによるコレラ・下痢などの水系感染症や、たき火の煙による呼吸器疾患、肺がん、心血管疾患のリスク、清潔な寝具の不足などにより疥癬などの皮膚疾患や寄生虫関連の疾患など、様々なものが指摘されています。また、キャンプ生活を行う難民は、他の状態の難民と比較して配給食糧に依存し、多様な食糧源へのアクセスが限定されていることも指摘されています。
メンタルヘルスへの影響
気候難民は、避難に至る過程でのトラウマや避難後の過酷な生活環境により、深刻なメンタルヘルス問題を抱えています。例えば、自然災害や住まいの喪失、暴力などが原因でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しやすいことが指摘されています。また、避難の過程や避難先での孤立感や差別、生活の不安定さからうつ病や不安障害も多く見られます。特に、難民キャンプでの過密な生活環境や食糧不足、限られた医療アクセスはこれらの症状を悪化させます。さらに、法的な不確実性や長期にわたる拘留も精神的なストレスを増大させ、特に子供や女性などの脆弱な集団は、さらに高いリスクに晒されているといわれています。
受け入れ国における医療システムの圧迫や地域住民との摩擦など
気候変動による移住者は、医療制度に影響を与え、そのニーズやパターンに対応し適応する能力に影響を与えることが指摘されています。例えば、南スーダンでは内戦や干ばつ・洪水などによって隣国のウガンダへの多くの人々が移動しています。その結果、受入れ国のウガンダでは医療を含めた公共サービスの需要が急増し、現地住民との軋轢が生じていることが報じられています。
気候難民と気候正義の関係
気候難民問題は、人権問題としても捉えるべき重要な課題です。気候難民は、生活基盤を奪われるだけでなく、移動先での基本的な人権が保障されないことが多く、これがさらなる困難を生み出しています。この問題は、「気候正義(environmental justice)」の一環として考える必要があります。
気候正義とは、気候変動の影響によって生じる不平等の是正を目指す概念です。気候変動によって最も大きな影響を受けるのは、しばしば経済的に脆弱な発展途上国や低所得の人々です。彼らは気候変動に対する責任をほとんど負っていないにもかかわらず、最も深刻な影響を受けています。この不公平さを解消するために、国際社会は気候難民に対してより積極的な支援を行うべきだという声が高まっています。
気候難民を保護する枠組みは十分とはいえない状況です。例えば、気候難民は、難民条約上の難民の定義には該当せず、同条約の保護の対象ではないとされています。保護を義務付けるのは迫害などから逃れた人であり、気候難民は該当しないためです。
これに対し、近年では、気候難民保護に向けた国際的な動きが大きくなりつつあります。例えば、2015年、国連人権理事会は、キリバスの男性気候変動を理由したニュージーランドへの難民申請の却下に関する申立てに対し、申請自体は退けたものの、「気候変動によって命の危険にさらされた人を本国に送還した場合は人権侵害に当たる可能性がある」と述べて気候変動難民の受入れを認める可能性があることを示唆しました。また、国連は2018年に気候難民へのビザ発給など、国境を越えた移住支援に各国が取り組む旨を明記した文書(Global Refugee Compact)を採択しました。また、世界経済フォーラムは2022年1月の報告書で、気候難民保護のための国際的枠組みが必要であるとしました。
まとめ
気候難民は、気候変動による影響で居住地を離れることを余儀なくされた人々であり、国内移動型と越境移動型の二つに大別できます。気候難民は、難民キャンプでの衛生環境の劣悪さやメンタルヘルスへの影響、医療システムの圧迫など、さまざまな問題に直面しています。また、この問題は気候正義という人権問題とも深く関連しており、国際社会が一体となって取り組むべき課題でといえます。気候難民保護に向けた国際的な動きも大きくなりつつあるため、今後の動向を注視する必要があります。